王冠のかたちに透けるガスの火に獣乳ささぐ秋のおわりは

大滝和子『銀河を産んだように』(1994年)

 

 

一般的にいうと、小鍋に牛乳をあたためる場面なのであろう。
牛乳を「獣乳」と言いかえると、いかにも野生の匂いがする。
そして、それはあたためられるのではなく、捧げられる。「王冠」と見立てられたガスによる火に。
時は折しも、「秋のおわり」である。

 

かつての、収穫に感謝する祭祀の場面を思わせ、聖性を感じる。ふとフレイザーの『金枝篇』が思い出されたりする。

 

現代のキッチンのささやかな場面が、はるかな時間を超えてさかのぼり、わたしたちの日常のちょっとした行為が、長くて広い文化のその末にあることを意識させる。

 

P.S.

台所仕事をするとき、この歌を思い出してみてください。平凡な場がたちまちにして塗りかえられるような気分になり、自分も変身したような気がします。

 

 

・わたくしの赤あかとせる魂がアステカ遺跡に掘りおこされる

・さみどりのペディキュアをもて飾りつつ足というは異郷のはじめ

・わが腕へ織りこまれたる静脈の模様をだれが決めたのだろう

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