さようなら。人が通るとピンポンって鳴りだすようなとこはもう嫌

穂村弘『手紙魔まみ、夏の引っ越し(ウサギ連れ)』(2001)

 

 この歌集の中では分かりやすい部類に入る歌。

 現代人の(とくに都市生活者の)普遍的な思いであろうから、作中主体がだれであってもいい。

 

 ピンポンと鳴り出すのは、例えば、店番の人が少ない(家族経営の、とか)お土産物屋さんや、奥の方の厨房でだれかひとりだけでがんばっている小さな中華料理屋さんとか、だろうか。

 繁華街のお店では、あんまり「ピンポン」と鳴らないような気がする。

 しかし、見えないところで無人センサーによって侵入が感知されるようなところは嫌だなあという直感はわかる。

 

 さて、こう発言した「作中主体」はどこへ行ってしまうのか。

 農村へ帰ってしまうとかそういう店には踏み入らないとか、あるいは東尋坊へ自殺しに行ってしまうのか。

 この「さようなら。」の言い方からすると、すっとこの世の裏側へ(カーテンの裏側に入るように)もぐりこんでしまうような気がする。

 或いは、どこかに星に帰ってしまうのかもしれない、とも思う。

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