銃弾が打ち貫きし手帳がそのままに行李の中に収められゐぬ

渡辺直己『渡辺直己歌集』(1940)

 

   渡辺直己(なおき)は、1908年広島生まれ、1939年事故死(公報では戦死。)

 

 戦争詠は、劇的であればあるほど、文字通り「劇」的でうそくさいものになりがちだ。「既視感」「映像的」「空疎な概念詠」(小高賢・『近代短歌の観賞77〉)という批評にはまってしまう。

 そのなかで、この一首は、不思議な雰囲気を出している。

 「じゅうだんが/うちつらぬきし」と伸びやかな初二句ではじまりながら、「てちょうが」の急停止によって事態の異常さが告発されるようだ。「手帳なり」と順当に詠み下さなかったところに意味があろう。

 

 手帳というものは、身につけてはいなくても、自分そばにあるものだ。

 そこには、自分の過去と未来の時間が記されている。自分の分身とも言える(とくに文学者にとっては)文字が書かれている。つまり、他の物体に比べて、個人に近い。

 その手帳に銃弾が打ち貫かれているというのは、容易ならざる事態である。しかし、それをじっと眺めるとか手でさするとかではなく、そのまま荷物のなかに入っている、と言ったところに、ツヤ消しのような手法がうかがえる。

 劇的な戦場を浮かび上がらせならが、最後のところで「劇」を消そうとしていたのだろう。

 その静謐さがかえって恐怖を引き立たせる。

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