産むという言葉の不遜わたくしは子を運び来し小舟にすぎず

鶴田伊津『百年の眠り』(2007)

 

 大きな歌である。

 子供を産むということになると、頭の中が「産む」という動詞でいっぱいになってあふれてしまうのかもしれない。周囲からも自分からも発する「産む」という言葉。

 くりかえし「産む」と言っているうちに、言葉に対する疑問が生じたのだろう。

 「産む」とは言うけれど、自分一人の力だけで産むわけではない。人類の始まりからの長い長いつながりがあって、この子供は「産まれる」のだ、と。

 そのあたりを、〈不遜〉と言い、〈子を運び来し小舟〉と表現した。やや概念的な部分があるが、この歌はそれでいい。

 

 女性は、母親になろうとすることで、こういう大きな生命の歴史につながれるのか、そして、ただの一個の純粋な存在になれるのか。

 こういう大きな意識が体のどこかにあるからこそ、子育てとういう大変な日々に耐えられるのだろう。

 男性としては、ただただ驚き、打ちのめされるだけである。

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