何ぞ背後に燃やす画面やほれぼれと聞き取り易き移民の英語

田中濯『地球光』

おそらく見ているのは、テレビの報道だろう。ネット配信のニュースかもしれない。移民がインタビューを受けて、何かを答えている。生活の困窮か、差別の事実か、ともかく移民という現実にまつわる問題を訴えているように思う。その移民の背後、画面の奥で燃える火がそのような印象を与えるのだろう。

なんとなく、ドラム缶かなにかで火が燃やされている光景を思い浮かべる。火が燃える街角は、奇麗で華やかな都市空間ではありえない。移民が集う都市周縁のスラム地区だろうか。何かが燃えている、ただその描写だけで、暗い貧困のイメージが立ち上がってくる。もしかしたら暴動の痕跡かもしれないが、さすがに深読みか。

そこで流れてくるのは、ほれぼれするほどはっきりとした移民の英語。日本人の耳に聴きやすい英語ということは、ネイティブの流れるような英語ではない。努力により英語を習得した移民が、一語一語はっきりと確かめるように発音する。リエゾンすることなく、それぞれ孤立した単語の明確な発音が、現地の文化に溶け込めない移民の姿を象徴する。

世界のどこの街でもいい。経済格差によって生まれる移民問題は、世界を覆い、新たな格差を生み、民族間の憎しみをあおる。それを作者は遠く見ている。ただ、「ほれぼれと」という一語が、移民へのかすかな思い入れを暗示している。

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作者は一度、歌を止めた。だが、歌に戻ってきた。それを心から喜び、また、作者を呼び戻した歌の力を思う。上記のように、学究と人生の悩みに苦しんだ作者だと思えば、新たな読みも生まれるだろう。若き研究者たちもまた、大学組織における「移民」なのかもしれない。

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