とつぷりと暮れたる街に漕ぎ出だす身はよるべなき遺伝子の船

寺尾登志子『黄道光』2010年

日が暮れて、夕闇に沈んだ街を歩いていく。その身は、遺伝子をのせてよりどころなく漂う船なのだ、という。主語は「私の身」であり、「漕ぎ出だす」にも夕闇の街を行く個人的な体感が反映されているが、下句における「身」は、私の身であるとともに、広く「人の身」として解釈したい。

生命が遺伝子で成り立っていることは現代の常識で、ヒトの身を、遺伝情報を運ぶ乗り物にたとえる話も聞いたことがある。作者も「遺伝子の船」と言い切る。しかし、結句の言い切りに至ってなお、深く問われているような気がするのは、船に係る「よるべなき」があるからだ。遺伝子には明確な機能と長い歴史がある。しかし、限られた空間・時間の内に生きる人一人の身には計り知れない。そのようなものを抱えてここに生きている身の不思議を詠う。

 

作者は歌集のあとがきで、山中智恵子に触れている。もしかすると、の話だが、遺伝子の歌を山中智恵子の次の歌の変奏として読むこともできるのではないか。

  いづくより生まれ降る雪運河ゆきわれらに薄きたましひの鞘
  山中智恵子『紡錘』1963年

「とつぷりと暮れたる街に」漕ぎだす景色と、雪の降る運河を舟で行く(*)景色は、その視界の不良、よるべのなさなといった点で照応する。「身は遺伝子の船だ」というのと、「私たちにたましいの鞘がある」というのも似ている。寺尾さんの「遺伝子」と山中智恵子の「たましひ」。寺尾さんの船は「よるべなき」であり、山中智恵子の鞘は「薄き」。どちらの歌も、「遺伝子」や「たましひ」を包むものをたよりないものに感じており、生の繊細さ、はかなさ、不安定さにひたと目を凝らす。山中智恵子から寺尾登志子へ、変奏というかたちで歌のテーマが受け継がれる。

(*)もっとも、「運河ゆき」の「ゆき」は必ずしも舟で行くとは限らない。運河に沿って歩いていくとも読めるし、運河を水がながれていくとも読める。

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