中庭にはたんぽぽ長けているばかりホムンクルスが薄く目をあく

永田和宏『日和』(2009年)

「メンデル以前の遺伝学では、精子の頭に人間のミニチュア、ホムンクルスがいると考えられていた」という詞書がつく。ポーランドを訪れているという一連の1首で、その前には

  夕暮れに小さく膝を抱いているホムンクルスに逢いたき思い

という歌がある。

季節は春も深まったころ、中庭にはたんぽぽが丈高く伸びて群れ咲き、なかには綿毛も交じっている。そこに小さなヒト、ヒトの素であるホムンクルスがいるという。もう1首も参照すれば、たぶん膝を抱えてひっそりと。眠そうなのか、瞑想をしているように見えるのか、「薄く目をあく」は実在感を醸す表現であり、ホムンクルスの表情を伝える。

 

DNAという考え方で遺伝が語られる現代に、ホムンクルスはもういない。だが作者は、その古い物語に心を寄せ、なつかしく思っているようだ。なつかしく思うというのは、ノスタルジーとはちょっと違う。人間がかつて考えたこと、遺伝の不思議を解こうと科学者が考えを巡らせるなかで生まれた物語に、作者は同じ科学者、同じ人間として、同じ目の高さで愛着を感じているのであり、ホムンクルス説を語った当時の人らに並んで「ふんふん」と耳を傾けるふうだ。この歌は、中庭という閉じた空間がとても効果的。たんぽぽの咲く小さな空間に、ホムンクルスが生きている。一つの確かな世界に向き合って、作者の心がいきいきとはたらく。

 

遺伝と永田和宏といえば、この歌がある。

  日盛りを歩める黒衣グレゴール・メンデル一八六六年モラヴィアの夏

  『やぐるま』(1987年)

1866年は、メンデルがエンドウマメの交配実験を経て、「メンデルの法則」と呼ばれることになる研究結果を発表した年。この歌は、どちらかというと科学者の歩みそのものへの共感と感嘆がある。ホムンクルスの歌は、

  スバルしずかに梢を渡りつつありと、はろばろと美し古典力学

  『黄金分割』(1977年)

こちらの系譜だと思う。『日和』には、

  「晴れ上がる宇宙」と聞けば楽しかり臘梅一枝瓶に挿されて

という歌もある。これには「ビッグバンから5万年ほどして、宇宙はようやく晴れ上がった。」という左注がつく。

 

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