カーテンに春のひかりの添う朝(あした)はじめて見たり君の歯みがき

染野太朗『あの日の海』(2011年)

朝早く起きたばかり、まだ開かれていないカーテンは明るく、春らしく晴れた日だと分かる。その光のなかで恋人である「君」が歯をみがいている。日常のありふれた所作とはいえ、歯みがきには一人一人特徴がある。「ああそんなふうにみがくんだ」と、見ているだけでたのしいだろう。知っていたはずの「君」をまた新しく知る、新鮮なよろこびが詠われている。後朝(きぬぎぬ)の歌として読んでなおいい。同じ一連には

  奥さんになる人はわが胃に眠る肺魚を突(つつ)く殺さぬほどに
  タンポポの背が伸びるころ君よりも君を知るのだ狭い新居で

といった歌もある。

 

一方で、次のような歌の一つ一つに私は立ち止まる。

  ずぶ濡れの鳥を飼うらし「社会」という語をくりかえす友の饒舌
  肺胞に届けばやがて雪よりもしろい根を張るチョークの粉か
  祖語をたぐるようだ 生徒と話すとき何を恥ずかしがるか知りたい
  たろうさんたろうさんとぼくを呼ぶ義父母に鬱を告げ得ず二年

いまの社会に生きることや、教師として生きる自分に対して、作者の目は妥協を許すことなく見開かれている。社会のざらつきや、壊れそうになるまで軋む自分の在り方を、感情に溺れずに明確に言葉にする。その文体の中にあっての掲出歌を、私はたいへんいとおしく思う。

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