おーい列曲がつてゐる、と言ひかけて 眼(まなこ)閉ぢれば春の日はさす

小池光『山鳩集』(2010年)

学校で、全校生徒が集まり、クラスごとに整列する場面だ。朝礼や始業式、終業式など。この歌は、歌集では「最後の終業式」という題の一連に入っているので、3月の終業式を思い浮かべる。「おーい」という呼びかけを伴って「列曲がつてゐる」と注意する言葉がいかにも先生らしく、ああ学校だ、と分かる。教師である作者にとっては日常の、言い慣れた言葉だろう。読者としては、不思議なことに学校の記憶が呼び起こされるような、なつかしい気がした。

 

さて、作者は「おーい列曲がつてゐる」といつも通りに言おうとして、ふと止まった。そういう気持ちの動きなのである。その短い時間に、眼を閉じ、まぶたに春の日の明るさと温さを感じている。生徒らが集まってざわざわとしているいつもの風景の中での、長い長い一瞬である。

 

「最後の終業式」の一連からさらに2首を。

  もののはづみに勤めはじめし学校に三十一年勤めて終はる
  教室のごみばこ三つ洗はぬままやめゆくこともさだめなるべし

1首目、31年間教師として勤め、退職するという。2首目は、ずっと気になっていたのだろう、教室のごみばこ3つを洗わないまま、やめることになるという。し残したことがまだまだあるような気がするが、きりがない、諦めてゆこうという気持ちを詠う。これらの歌を踏まえると、掲出歌は、「ああ、これが最後」という感慨が身に訪れる瞬間をすくいとっていることが分かる。「おーい列曲がつてゐる」と言うのも今日が最後となる。ありふれた言葉が、特別な言葉になろうとする瞬間に心が動き、作者をふと止まらせたのだ。初句二句で話し言葉が定型にのり、詠いやすいが、第三句のあとの一字空けで間をおく。ここに思いがこもる。

 

『山鳩集』にはほかにも学校の歌があり、次の3首が特に私は好きである。

  牛乳瓶を花瓶に置きてうつすらとチョークのこなのふりつもる卓
  いつの日も黒板溝(みぞ)に穴ありてみじかくなりしチョークを落とす
  さらさらと鉛筆はしる音みちてひとは言ふとも学校清し

 

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