美(は)しきもの告げるにはやき仲なれば沈む夕陽は沈ませておく

光森裕樹『鈴を産むひばり』(2010年)

美しいものを「美しい」と言うこと、この歌の場合なら「夕陽」を「美しい夕陽だ」と人に指し示すことは、簡単なようで実は簡単ではない。何を美しいと思うかは人によって異なるだろうし、タイミングによっては、人が「美しい」というものに共感する余裕がないこともある。例えば、職場の窓からきれいな夕日が見えて「美しい」と思い、それをすぐそばにいる同僚に言えるか、というと微妙なところだ。

 

作者はその微妙な心理を踏まえて、美しいものを告げて共有するにはまだ「はやい」人間関係に着目する。「はやい」というからには、いずれは、美しいものに出会ったなら「美しい」と手放しで告げて共有したい相手なのだろう。友として近づきたい、あるいは恋愛対象として好きな相手と共に夕陽を目の前にしているのだ。けれど今はまだ「はやい」、つまり、「美しい」と思う心を明かせるほど近い関係にはまだなっていないから言わない、というのだ。シャイな姿勢である。「美しい」と思う心は開陳されないまま、夕陽は沈んでゆく。

 

同じ歌集からもう1首。

  削ぐやうに雪を払へり信頼を得てしまひたるうしろめたさに

どうやら自分は相手の信頼を得た。しかし、「得てしまひたる」とある通り、自分の本意ではない方法で思いがけなく信頼されてしまった。例えば、社交上の言葉や振る舞いで接したつもりが、深く信頼されてしまい、相手とのテンションの違いに戸惑いとうしろめたさを感じる。一人になり、帰宅してそのうしろめたさを身から「削ぐ」ように上着についた雪を払う。この歌も、人との関係で生まれる微妙な心理を捉えている。

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