家々に釘の芽しずみ神御衣(かむみそ)のごとくひろがる桜花かな

大滝和子『人類のヴァイオリン』(2000年)

東京で桜が咲いたと聞く。いつまでも寒さが続くような気がしていたけれど、桜の木はしっかりと準備をしていたのだ。心が少しほっこりとする。

 

今日の歌は『人類のヴァイオリン』所収だが、初めて読んだのは小林恭二著『短歌パラダイス』(岩波新書、1997年)においてだった。今から15年前の1996年3月30日、伊豆の民宿に歌人たちが集まり、2日がかりで歌合を繰り広げた。『短歌パラダイス』はその記録である。歌合はチームに分かれて歌の良しあしを競う。勝負だから、普通の短歌の読み方とは違うけれど、私はこの1冊を読んで(高校生でした)「短歌ってこんなにいろいろな読み方があるんだ。面白いなあ」と新鮮に感じた覚えがある。

 

中でも、大滝和子のこの1首は忘れがたい。「芽」という題に対して提出されたのがこの歌だった。「芽」と喩えられているのは釘の「頭」のことだろう。木造の家には釘が打たれているが、外からは釘は見えない。小さな釘たちが、木材の内部にしずみ、見えないところで家の形を結んでいる。その静かな力を作者は想像しているのではないか。古い木造の家々が立ち並ぶ界隈を思い浮かべる。そこには桜の木があり、いまや花は八分咲きから満開ぐらいの様子だろうか。「神御衣」(神さまの着る衣)と喩えて、花々がゆったりと広がる様子をいう。「釘の芽」のしずむ家々も桜も、人界の景色である。が、この歌は、その景色に潜む、人の知り得ない静かな力を、言葉によってかたちにしている。

 

『短歌パラダイス』の歌人たちもこの歌には脱帽したようで、勝負の後には敵味方関係なく「賞賛の声がよせられた」と記されている。良い歌を無邪気に称える「歌人」という人たちも、なんだかとても面白そうだ、と当時思ったのだった。

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