阿木津英『紫木蓮まで・風舌』(1980年)
あたり一面、明度が高く、ここ数日の光がすっかり春らしい。肌寒さにすくめていた肩がほぐれ、体が自然と伸びる。掲出歌は、このようなのびやかな春の日に合う。
雲雀の啼く春の野に来て、それまで内にこもっていたこころが、ひたむきに「延び」ようとするという。冬の季節感のせいかちぢこまっていた心が、春になり、あらゆるものを感受しようと躍動しはじめる様子を詠む。「伸」ではなく「延」の字を使っている。「体が伸びをする」の伸びるではなく「延びる」、つまりどこまでも広がっていくのだ。「ひたに」は、延びることに一途な様子。まるで「こころ」が、春になって生まれ直し、すくすくと成長するかのようだ。上句では「雲雀」が、天に小さく光りながら、高らかに啼く。その様子が生命力を加えている。
自選歌集『青葉森』(2008年)のあとがきによれば、この歌は第22回短歌研究新人賞受賞作品「紫木蓮まで」が初出で、
雲雀啼く春の野にきてくぐもれるこころをひたに延べむかわれは
となっていたそうだ。歌集に収録する際に掲出歌の形になったという。確かに、初出の「われ」が「こころ」を「延べる」という表現よりは、掲出歌のように「こころ」を主語にして、「こころ」のおのずからの動きであることを示した表現の方が、のびやかさが出ていて良いと思う。
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