竹・藁・葦こまかく堅く編みつぎてここにもモンスーン圏に生くる者たち

太田青丘『アジアの顔』

 

昭和33年、「東南アジア展」という展覧会を見ての作。報道写真か何かの展覧会だろう。そこには、竹や藁や葦などを緻密に編んで、籠、皿、笠といった様々な物を作る人々の姿が映る。編目をきっちり詰めて、植物を細かく堅く編む技は、アジアが誇る文化の一つだ。

 

その地域を作者は「モンスーン圏」と呼ぶ。モンスーンとは大雑把に言えば「季節風」に近い。季節風が吹く地域は、東アジアからインド洋、さらにはアフリカ・南北アメリカ・オーストラリアそれぞれの東岸と、かなり広範囲に亘るが、この場合は「アジアモンスーン」を指すようだ。中国、ベトナム、タイ、カンボジア、インドネシア…。湿潤な気候が育てる植物を活かし、アジアの自然の中で生きる人々の姿を青丘は見ている。

 

「ここにも」はモンスーンアジアの風景を指すと同時に、「にも」には今自分が立つ場所を思うニュアンスもある。つまり日本もモンスーンアジアであり、日本人も植物を細かく編みつぎて生きる者なのだという、アジアの一員としての、中国文学者としての青丘の共感がある。

 

  日本人と知りて笑みかけ寄り來しと聞けば耐え得ず十餘年經て
  纏足をかなぐりし民にてドリルうつ少女の笑顔疑はざらん

 

筆者がいるロンドンでは、建物がどれもやたらと壮麗で古いことに驚かされる。知人のマンションは築120年。この石造りの文化は、植物的なアジアの文化とは全く違うと心底思う。さて、上の掲出歌、前者は同じく「東南アジア展」での作。旅先で現地人に声をかけられた誰かの経験を、展覧会で見聞したのだろう。戦争から十余年を経て、日本に愛着を持ってくれるアジアの人の心を知り、青丘は苦しむ。後者、発展を得ようと力を尽くす中国の民に心を寄せる。当然、日本も同じ状況だった。どれも、「歴史観的社会詠」と称された青丘の歌風をよく示している。

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