哲学を卒(を)へしこころの青々と五月、机上に風ふきわたる

高島裕『旧制度アンシャン・レジ-ム』(1999年)

哲学をひとしきり熱心に学び、青年はそれを「卒へし」という。卒の字を使っているところに、哲学にずいぶんはまり込んでいたこと、その哲学から脱皮しようとする意志が充ちていることがうかがえる。「青々と」と表される心を、青年自身はどのような思いで見つめているのか。哲学を信頼しきっていた純な、眩しいまでの青い心を冷静に、皮肉的に見ているように読める。机上にふきわたる五月の風は、その青さ、若さを誇張しているように読める。青年は少し前の自らの若さを皮肉的に、否定的に見ているが、一方で、否定することによって得る前進力もまた青年ならではのものであって、五月の風はこの若さをも受けている。

 

歌集では、掲出歌の次にこの歌が置かれている。

    わかものの炎(ひ)をなだめつつ暁(あかとき)の放置自転車ぶつ壊しをり

哲学では解決し得ないわかものの衝動が暴力となる。やり場のない思いをなだめる手段が放置自転車をぶっ壊すことなのであり、もっと何か大きなことに使われるべき力が青年にうずいていることがやるせない。

 
自己を否定する若さと暴力が直接的に表された青年像を短歌に見かけることが最近は少ない。泥くさいまでの青年像だが、青葉の季節だからだろうか、五月の風は変わらず青年に特別なものであるように思う。

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