薄氷(うすらひ)の上を生きつつみひらけばきみ立ちて舞ふ月のおもてに

水原紫苑『武悪のひとへ』

 

まさに、生きることとは、薄氷の上を歩むようなもの。命の氷がいつ割れて、死の淵に沈むか分かりはしない。私たちは薄氷の上を、しずしずと歩み進めねばならない。それが、この世を生きるということなのだろう。

 

薄氷を踏み破らぬ歩みは、能舞台での役者のすり足を想像させる。まさに作者は、薄氷の上で生きるため、舞台に立つかのごとくに足を運ぶ。その時、月が天上に大きく浮かぶ。そして、幻の月面に舞うひとりが見える。薄氷に歩む者と、月に舞う者。天と地が感応する、神秘の一瞬。

 

本歌集『武悪のひとへ』は、ある狂言方の能楽師を追慕する、挽歌集だという。掲出歌の「きみ」がその人だろう。古来、月は死者の魂が赴くところという信仰は、世界各地に認められる。満ち欠けを繰り返す月が、死と再生のシンボルだったことも、広く知られる話だ。だからこそ月は、「きみ」が舞う舞台にふさわしい。死してもなお、否、死してこそ、月での舞は、凄味を増す。

 

  終はりなき狂言ありや終はりなきいのちのごとく水のごとくに

 

一曲を舞い終えることがすなわち狂言の終わりではない、と作者は言いたいのかもしれない。狂言は狂言師の命と共に永久に続き、たとえ命が地上を去ったとしても、一つの狂言として響き続ける。そして「きみ」への愛も、終わりなく流れる水のように、心に滾々と湧き続ける。

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