笹公人『抒情の奇妙な冒険』
母親を泣かせてしまった記憶は、なかなか脳裏から離れない。親子の緊密な関係の中で、思春期を迎えた心が親の心とすれ違い、衝突する。そうして母親はある日、自分を拒否しようとする自分の子供の心に、泣くのだ。そんな母親の姿を、「ジャミラのように溶けてゆく」と表現している。さて、このジャミラとは何か。
結論からいえば、昭和41年に放送された特撮テレビ番組「ウルトラマン」に登場した、宇宙怪獣。元々は正真正銘の人間だったが、宇宙飛行士としてロケット搭乗中に遭難。批判を恐れた母国が事実を隠蔽したため、彼は見捨てられ、水のない惑星に不時着する。そこでいつしか身体が怪獣状に変異し、復讐のために地球に帰還した。このストーリーからジャミラに同情する人も多く、独特な知名度を持つことになった怪獣だ。水の無い惑星で変異したため、水に弱い身体を持つという設定であり、最後は水に溶けるように絶命する。
つまり、毎週ウルトラマンを見て育った特定の世代にとっては、実に悲しい怪獣なのだ。地球への思慕と憎しみを混ぜながら、自らが失った地球の命の源「水」に溶けてゆくジャミラ。それは、子供への愛と怒り、絶望の間で混乱し、涙にくれる母親の姿に似ている。笹は、この非常にピンポイントな一点に、比喩の力のすべてを託した。分かる人には分かってもらえる、そんな作者の強い思いが見える。「十五歳の夜に」には尾崎豊の香りもあるだろう。子供の頃にウルトラマンを見た世代は、二十代中盤過ぎあたりで尾崎に出会ったわけだ。
ユリ・ゲラーのサイン付きたるスプーンは抽斗の闇に曲がり続ける
スライムをブラウスに入れたことなども若葉の頃の記憶に溶けて
ノムラサチヨホソキカズコと唱えれば魔界の数え歌のごとしも
どれも、特定の時代を席巻したモノ、人物への思い入れから歌が紡がれている。読者を限るということは普通ネガティブに受け止められるが、ある読者にはどうしようもないほど深く共感されるという歌も、大いにありなのだ。