てのひらに稚きトマトはにほひつつ一切のものわれに距離もつ

滝沢亘『断腸歌集』

 

ヨーロッパでは今、ドイツに端を発したO104による食中毒の流行が注視されている。イギリスはまだ対岸の火事という雰囲気だが、野菜の生食を避ける空気があるかもしれない。僕は気にしてないつもりだけど、生のトマトを見ればちょっと身構える。もちろんそのまま食べるけど。

 

掲出歌では、てのひらのトマトをどこか遠く感じるという。僕のように食中毒を心配しているわけではあるまい。稚(おさな)いトマトだから、少し青みが残って固いのだろう。それは若い命と肌の張りを思わせる。そんなトマトがほんのりと匂いを立てるとき、全てのものが自分から離れてゆくように思う。「われに距離もつ」という表現は、自分と自分以外の世界の関係がしっくりいかない状態を示す。全ての世界、全ての存在が「私」にはよそよそしい。目の前のトマト、窓の外の青空、机の上の一輪ざしの花からも「私」は距離を取られ、まるで腫れ物のように扱われる。

 

  時雨ふる土の傾斜を見てゐたり不治のこころは騒然として

 

この歌を読めば、掲出歌の後ろにどんな感覚があるか、さらに分かるかもしれない。少年時代から結核に苦しみ、療養所で41歳の生涯を閉じた滝沢にとって、日々は「不治のこころ」との苦闘にあっただろう。絶望を覆い隠すはずの心が、騒然として鎮まらない。土の傾斜をえぐる雨が、そして、固く青いトマトが、作者の心に絶望を蘇らせる。

 

その絶望が滝沢の歌に、ある意味、思索的な感慨を深めさせることになった、ということは可能かもしれない。「一切のものわれに距離もつ」という下句は単に、周囲から置いていかれる、という悲しみを示すだけに留まらない。ひとりの人間と無限の世界の在り方を再考する、哲学的な問いになっているように思う。

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