帝王のかく閑(しづ)かなる怒りもて割く新月の香のたちばなを

塚本邦雄『感幻樂』

 

古今東西を問わず、帝王の怒りは、悲劇を呼んだ。何かを割(さ)き、砕こうとして、自ら破滅の道に進んだ帝王も多い。新鮮な橘の実を割くときに立ち上る、鋭い一筋の香り。そこに、かつての帝王の怒りを思った。古来、その常緑の葉ゆえに、永久の若さを祝う植物とされた橘。小さく黄色い実は蜜柑にも似ているが、酸味がきつく食用には向かない。しかし、強い芳香を長く放つため、いつまでも香りが消えない「非時香菓(ときじくのかぐのみ)」として珍重され、不老不死の薬とも称された。

 

その橘を裂くということは、どういうことか。『コレクション日本歌人選 塚本邦雄』を著した島内景二は、この橘の香りには「昔の理想の政治形態」「今は失われた日本文化」への思いが込められていると説く。掲出歌は塚本が後鳥羽院に寄せた一連「菊花變」の一首である。すなわち、鎌倉幕府に戦いを挑み、敗れ去り、壱岐に流された院が、王朝文化を道連れに失墜したことへの思いが、この歌に託されているという。永遠の若さを象徴する橘は、そのまま王朝文化への憧憬を表す。帝王の怒りは、その伝統を断ち切り、武家の手に渡すことを拒んだ。確かに院は『新古今和歌集』を隠岐で、自ら編纂し直している。新たな時代を否定するかのように。

 

ここで一転して、別の読みの可能性にふと思い当った。「帝王」の名の下に割かれる対象といえば、もうひとつある。「帝王切開」──母親の腹はつややかな張りをもってふくらみ、巨大かつ新鮮な橘の実のよう。それを切開するメスは、閑かな怒りを含むように鋭く光る。そして、取り上げられた赤子が放つ泣き声は、永遠の若さを示す橘の香のように、命の輝きを伝える。その時、赤子はまさに、怒りのように強靭な、この世に生まれ出んとする力を奮って、降臨した帝王である。新たな生命の誕生を、大いなる祝福と、一つまみの呪詛をもって歌った一首として、掲出歌を読み直すことは・・・・・・突飛に過ぎるだろうか。

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