ジュズダマの穂をひきぬけばひとすじの風で河原と空がつながる

やすたけまり『ミドリツキノワ』(2011年)

黒くてつやのある、しずくのような形をしたジュズダマの実。頭の先からつんと穂が出ている(正確にいえば、実のようにに見えるあの玉は実ではないそうだ。葉が雌花を包んで鞘となり、硬化したものだという。穂は、雌花の柱頭がとびでたものなのだそうだ)。その穂を爪でつまんで引き抜く。子供のころの野遊びを思い出す。ジュズダマそのものもなつかしいが、「ひとすじの風」以降の下句がとてもいい。子供のころにだけ感じていた風が、ふっと肌に戻ってくるようだ。

 

  ニワトリとわたしのあいだにある網はかかなくていい? まようパレット

  うらがわに鳥の巣がある信号の青いひかりにたちどまる朝

  うらにわの日はいつまでも明るくて萌える崩れるたんぽぽのくに

 

『ミドリツキノワ』には、身辺の自然や風景のなかの不思議を、口語で、五七五七七に非常に素直な姿勢で詠いとる歌が多い。1首目は写生をしているところだろう。鳥小屋のなかのニワトリを描くときに、学校の先生はおそらく「見たままにかきなさい」と言う。では、目の前にある鳥小屋の金網は描いた方がいいのかどうか。描けばきっとニワトリの絵はぐちゃぐちゃになってしまう。大人になるとまったく迷わないことにがっちりと立ち止まる、小学生ぐらいの世界観を言葉にしている。2首目、3首目も、小さな一つ一つが大きな不思議だった子供のころの感覚をほうふつとさせる。

 

子供のころの感覚がよみがえらせる言葉の喚起力が読みどころである。一方で、なぜそれが短歌という形を欲しているのか、ということを私は思った。

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