だきしめてやりたき肩が雑踏にまぎれむとして帆のごとく見ゆ

小野興二郎『てのひらの闇』

 

「抱きしめてやりたき肩」だから、実際には抱きしめることが出来ない。きっと、恋する女性の肩だろう。いつも抱きしめたいと思っていながらも、行動へと踏み切ることが出来ない、そんな青年の純情を感じさせる。「やりたき」という言い回しに、「彼女を護ってやりたい」という感情が見える。一人の男性として愛する女性を支えて生きていきたい。その思いは、ただ自分の心の中にだけ積ってゆく。

 

そうして今日も肩を抱きしめることなく、別れた。肩、そして後ろ姿を見送っている。駅頭か街中か、彼女の姿が雑踏に紛れ込む時、その肩がまるで船の帆に見えたという。色々な解釈があるだろう。人の海に一人で漕ぎだそうとする「貴女」が孤独に見える、と読むならば、はやく彼女に愛を告げなくてはという焦燥感が感じられる。「貴女」が高く帆を張ってひとりで人の海を渡ろうとしている、と読むならば、彼女に取り残される己と、届かない恋心を悲しむ姿が見える。「やりたき」という表現から、個人的には前者の読みを取りたいところだが、どちらにしても、愛する女性を「帆」に例える点に、青年のこの上ない鋭敏さが表れている。

 

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小野は昭和10年生まれ、その青年期はまさに戦後復興期に重なる。故郷から都会に出て、学び、恋し、働いた小野の歌たちは、図らずも戦後日本という繊細な青年の成長記そのものにも見える。

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