父ならぬ夫ならぬよはひの人と見る散らんとしていまだ散らざるさくら

稲葉京子『天の椿』(2000年)

ひとりの女性が一生をかけてふかく関わる男性は、父と夫だ。
だから、父や夫と同じくらいの齢のひとについては、その人の生き方がどうであれ、父や夫をひとつの尺度として計ってしまうことになる。
しかし、「父ならぬ夫ならぬよはひの人」は、どこか異星のひとのように、
新鮮な存在として傍に立っている。

世代で区切り、語るのは好きではないが、おもいかえせば、若いころにはまったく理解も興味も持てない年齢があった。
ひとによってそれは違うのだろうけれど、十歳代のころには五十歳代が、三十歳代のころには十歳代が、というように。

ところが、ちょっとした偶然が、その扉をひらく。
いままでふかく付き合ったことも、付き合おうともおもわなかった年齢のひとと、
なぜか今、ともに桜を見上げている。
自分の世界があたらしくなったような気がする。
そして、たとえばそれは、少し年下のひと。
春も深まり、もう散っているかとおもっていた桜は、まだ春の風に揺らいでいる。

もうすこし、あとすこし、散るのを待ってほしい。

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