枇杷の花ひつそりと咲く停留所に待ちつつバスは死んだと思ふ

小林幸子『シラク-サ』(2004年)

「バスは死んだ」とはどういうことなのか。意味を定めがたいが、印象的な言葉である。枇杷の、白くて目立たない花が咲いている木があり、そのそばに停留所があり、バスを待っている。バスがちっとも来ない時に、「バスは死んだ」と唐突に思った、と私は読んだ。

 

この出し抜けな感じにはユーモアがある。が、その味わいは深閑としていて不思議だ。バスは、現実的には来ないわけではないのだろうが、来るはずのものがもう来ないと直観させられるような風景の中に、作者はいたのだ。「バスは死んだ」から想像されるのは、時間が止まり、枇杷の花だけが咲いていて、作者がぽつんと置き去りにされている、夢のようなさびしい風景である。この時間が止まったような感覚には、覚えがあるなあと思った。

 

  みなづきのひかりふる日にみごとなる桃とどくゆゑあなたは死ねぬ

 

同じ作者の別の歌集『場所の記憶』(2008年)から。詳細は省略されているが、桃を「あなた」に届ける手配をしたところか。桃が届く日の風景を、作者は知っているわけではないのに「みなづきのひかりふる日に」と描いてみせる。未来の時間の風景の中にある美しい桃の姿が鮮明だ。その鮮明さが、「あなたは死ねぬ」という直観を支え、なにか超越的に力強く響く。

 

風景が直観にいのちを吹き込み、説得力あるものになっている2首である。

 

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