「幽霊とは、夏の夜に散る病葉(わくらば)のことです」とその街路樹の病葉が言ふ

松平修文『蓬(ノヤ)』

幽霊は、私たち生者には見えないのかもしれない。丸山応挙の幽霊画をはじめ、お岩さん、お菊さん、ステレオタイプのイメージがあるが、すべては見えない霊に震える生者の怖れが生み出した想像にすぎない。となると、「幽霊が怖い」という生者は、一体何を怖がっているのか? 自分の想像を恐れているだけでは? そんな時、「幽霊って夏の夜に散る病葉のことですよ」と答える者がいた。まさに〈幽霊の正体見たり枯れ尾花〉、実に唯物論的な答えだが、その答えた者が病葉本人(?)だという。非日常が日常に戻されようとしつつ、さらなる非日常へとつき放される。

思えば、緑夜という季語もあるほどで、夏の夜には生命力あふれる緑の葉が茂るもの。その中で病み、散ってしまう病葉は、葉の中の落ちこぼれかもしれない。そんな病葉から親しげに話しかけられてしまう私、病葉の言葉が聞こえてしまう私は、いったいどんな精神状態にあるのだろう。もしかしたら自身もまた、「わくらば」ならぬ「わくらびと」かもしれない。定型からずるずると逸脱し、リズムを塗りつぶすような字余りはどこか、物語の一節を読みあげているような錯覚を与える。そして、日常と非日常の境目へと、読者はいざなわれる。

現世の職場のひとつ銀行で働く 真昼間の幽霊たちは

中庭の飼育ネットに金銀の蝶満ちてゐる夏のゆふぐれ

父が逝きし日のゆふぐれの屋上に黒き犬ゐて吾を見おろす

作者の松平は日本画家でもある。本歌集には上記のように、銀行に勤める者こそが幽霊だという歌もある。やはり私たち生者こそが、現世以外から見れば幽霊なのであり、「わくらびと」なのだ。飼育ネットの内側と外側、そのどちらが幻想の世界なのか。死んだ父がいる世界と、私が残された世界と、どちらが本当の世界なのか。その二つの世界を繋げる黒い犬の視線や病葉の言葉を、作者は関知してしまう。

編集部より:松平修文歌集『蓬』はこちら↓

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