ゆふがほの解(ほぐ)れるときのうつつなるいたみはひとの指をともなふ

平井弘『振りまはした花のやうに』

 

夏の夕方に花開き、翌朝にはしぼむという夕顔。ウリ科特有の葉脈のような筋を備えた白い花は実に儚げで、源氏物語のかの女性に「夕顔」の名が与えられたことにも得心がゆく。皺ばんだ花びらが開く様子は、咲くというよりもまさに、ほぐれるという言葉が似合う。

 

やぶれそうな薄い花びらを少しずつ開いてゆく力。夢幻の世界の花にも思える夕顔を開いてゆくのは、現世(うつつ)の痛みであるという。その痛みが、人の指を伴うとはどういうことだろう。おそらくそこには人の指が、繊細なものをほぐし開かずにおられぬということを、悲しむ心がある。

 

誰かの指はふるえる人の心に分け入り、もしくは、人体の繊細な箇所に沈みゆき、小さな痛みを生みだす。そうして人の指は、この夕顔のように繊細にふるえる何かをほぐし開いてきた。夢幻に遊ぼうと願う心に、うつつの痛みを打ち込む指。もしかしたら「うつつなるいたみ」とは、現実の生活に汚れ、疲れてゆくことの例えかもしれない。もの静かでありながら、かすかに嗜虐的な香りが漂う。

 

  はづかしいから振りまはした花のやうに言ひにくいことなんだけど
  のどに指いれればふれるばかりにてああとふ声がかたまりをなす

 

本歌集は現代の口語短歌の源流の一人、平井弘の第三歌集。第二歌集『前線』からは三十年の隔たりがある。触れてはいけないものも、いつかは触れられる。恥ずかしくて言えぬ言葉も、開かぬ花もいつかはほぐされ、指は貴方の喉にも差し入れられる。犯されてゆく甘美な夕顔の幻に、エロティシズムが匂う。

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