ささやかな歌創るより忙しき一記者のわれに没頭せむとす

小名木綱夫『太鼓』

 

今イギリスではタブロイド紙「ニューズ・オブ・ザ・ワールド」の記者による、著名人や犯罪被害者・戦死者の遺族などの電話の盗聴が発覚し、大問題に。168年の歴史あるこの新聞は廃刊、関係者が逮捕され、多くの新聞・放送局を傘下に収める「メディア王」ルパート・マードックは窮地に追い込まれている。盗聴を行った新聞記者らと不適切な関係にあったとして警察が批判され幹部が複数辞任、追及は政界、キャメロン首相にまで及んでいる。

 

一方、昭和23年に38歳で亡くなった小名木は、共産党の新聞「アカハタ」の記者だった。掲出歌は、忙しさに圧倒されながらも、己の果たすべき仕事に誇りを持たんとする心があふれている。歌のことも忘れて、新聞記者としての本分に邁進する。ということを歌にした時点で、本当はなかなか没頭しきれないジレンマが歌ににじみ出る。そして、「一記者の仕事」に没頭するのではなく、「一記者のわれ」に没頭しようとする。この「われ」が前面に出てくる点に、なにか焦りというか、自らを叱咤する心が見えてくる。そんな面白い構造の一首だ。

 

そしてこの「われ」は、己が「ささやかな歌」詠みであることを認識し、その対比を通して「報道」の大切さを述べようとしている。結句の「せむとす」という、たとえ字余りになっても完全に言い切らずにいられない文体も含め、ストレートすぎる修辞とも思うが、小名木にとってはこの断定が必要だったのだろう。上記ワールド紙の記者連とは次元が違うが、彼も戦前、治安維持法違反により検挙され、拷問を受けた。「報道」が社会においてどうあるべきか、そしてその現場に生きるとはどういうことか、そんな思いがこの無骨な修辞に込められていると思えてならない。

 

  獄舎(ひとや)でて夕べの橋を渡るとき潮くくむかぜ海より吹けり

 

 

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