耳を切りしヴァン・ゴッホを思ひ孤独を思ひ戦争と個人をおもひて眠らず

宮柊二『山西省』(1949年)

1940(昭和15)年1月から1943(昭和18)年12月までの歌を収める。作者は昭和14年に召集され、この間、中国・山西省で従軍した。掲出歌は「床上小歌」と題する章に含まれ、戦地で陸軍病院に入院していたころのものと思われる。

 

ゴッホは、共同生活をしていたゴーギャンと芸術論で対立し、家を出たゴーギャンを追いかけて自らの耳を切った。そのゴッホと、戦地の宮はまったく異なる時代と場所と状況にあるのだが、宮はゴッホに共鳴する。ゴッホの行為は、普通は狂気のためとしか思われないが、刃を自分に向け、耳を切るしかなかったゴッホの論理が、宮には不意に分かってしまったのではないか。ゴーギャンを必要としながら激しく対立せざるを得なかったゴッホの内面は二つに引き裂かれている。宮もまた、引き裂かれる自己に耐えていたのではないか。ゴッホを契機として、そのような自己の孤独と、「戦争」となすすべのない「個人」について、思考が連なっていく。「眠らず」は、眠れないという辛い状況をいうと同時に、心をのまれることなく、今起こっている事態について必死に考えているふうでもある。

 

一兵士としての戦場での日々をリアルに詠いとった『山西省』から、例えば「黄河」という一連の次の歌が印象深い。

  ころぶして銃抱へたるわが影の黄河の岸の一人の兵の影

地に伏せて銃を抱える自らの影を、下句では「黄河の岸」と巨大な景の中に捉え直し、「一人の兵の影」と、三人称で描写するごとく示す。戦場と、戦場にいる自分を俯瞰的に、感情を排した目で凝視する、もう一つの目があるように思われる。状況を凝視するもう一つの目が、戦場において宮に歌を書かせていたように思われる。

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