在りやうをわれに咎めに朱夏来たる容赦なし<蝉時雨>浴びせて

村木道彦『存在の夏』

 

ロンドンは今日、24度だったが、日本の夏は今年も厳しいのだろう。暑さがまるで、誰かから叱られているかのように感じられることもあるかもしれない。そして掲出歌の作者は、己の在りようをとがめだてするような夏の暑さに苦しんでいる。それほどまでに暑い。

 

その朱夏の叱咤の声が、容赦なく降る「蝉時雨」だ。蝉の鋭い鳴き声の一つ一つが、己の怠惰な心を厳しく打つかのよう。 いや、むしろ、己の在りように憤っているのは、己自身の心に他ならないと言った方が正しいのかもしれない。どうしても理想の生き方に至るための努力を怠ってしまう己に対してやまない、己自身の怒りが、夏の体感気温をさらに高め、蝉声の中に怒りを感じ取らせているのだろう。

 

しかしながら、なかなか大それた歌でもある。この夏は当然、あまねく北半球を覆っているはずだが、作者にとっては、ただ己一人を叱るためだけに来たように感じられるという。まるで、「夏」という現象と一対一で向き合っているかのよう。いかに己の在りようを情けなく思っているといえども、その底には、己は「夏」に叱咤されるにふさわしい存在である、という自負がある。

 

  たましひによるべはありやもつぱらに膚(はだへ)汗なす便器に座せば

  扇風機二台が首を振りてをりたがひちがひのこの世の夏に

 

ライトヴァースの先駆けでもある伝説的歌集『天唇』から34年。この第二歌集には、かつてのノンポリティカル青年のペーソスとは違った、生きて汚れることの悲しさが満ちている。この世の夏を、魂の寄る辺のなきままに生きねばならない諦念。その諦念がまた暑い夏を呼ぶ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です