一束の野の青草を朝露と共に負ひゆく農婦に遇へり

築地正子『花綵列島』(1979年)

青草を背負って道を行く農婦を描く。農婦の姿を描くのみなのだが、ひきこまれる。見る者を佇ませる力をもつ絵のような一首だ。「朝露と共に」がいいのだろう。農婦が背負う刈ったばかりの青草が朝露に濡れているのだが、「朝露と共に負ふ」と言うことによって、朝露の存在感が増す。みずみずしく、光を帯びる露の様子が思い浮かぶ。また、「朝露」が青草にまだのっているぐらいだから、辺りは満面に明るいのではなく、朝早い時間帯の朝光がまだ初々しいころだろう。

 

築地正子は、東京に生まれ25歳まで東京で暮らした。26歳のころ、父母とともに熊本に移り住む。画家を志していたが、その道は諦め、短歌一本に精進していく。絵を学んでいたことと関わりがあるのかどうかわからないが、時折、掲出歌のように、言葉で絵が立ち上がるような歌に出会う。

 

  肌青き暖流の魚描くために買ひ来て描かぬこともわが意志

  夏草を焼く火は天にとどかねど逃げのびてゆく蟷螂みたり

  草熱き野をゆくわれを瞻りゐる鴉一羽の寂しき瞳あり

  卓上の逆光線にころがして卵と遊ぶわれにふるるな

 

1首目の「肌青き暖流の魚」、2首目の「夏草を焼く火」とそれをのがれる蟷螂、3首目の草野の鴉の瞳、4首目の卓上の逆光線上の卵。いずれも鮮やかで美しく、存在感のある景色だ。のみならず、そこには熱く堅固な思いが疼く。1首目の「描かぬこともわが意志」と言い切る強さ、2首目の、おそらく作者の心理が象徴的に託された「逃げのびてゆく蟷螂」、3首目の「寂しき瞳」、4首目の「われにふるるな」の孤高。一首のうちに、鮮やかな絵画性と、明晰で熱く固い意志が共存する歌が第1歌集『花綵列島』には多くみられる。

 

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