田村広志『回游』(1992年)
『回游』中に「槌鯨」という一連があり、そのうちの一首である。南房総の和田港で「槌鯨」というクジラの解体を見た、というもので、ほかにも次のような歌があり、ドキュメント的にクジラの解体が詠まれている。
回游の群れをはぐれて撃たれたる一頭の背の深き銛痕
大包丁に背肉きる音さくさくと朝の解体場を渡りてゆけり
3キログラムのこうがんは成熟の重さとぞ鯨の白きが計測さるる
切りとられし槌鯨のあたま陽に曝れて乾けり海光あらき和田港
房総の強き陽差しに朽ちかけてみな海に向くくじら供養塚
解体現場で見られる鮮血や包丁を使う人々の姿が、夏の港の光の中で鮮やかに躍動的に描かれていて印象的な一連だ。主題の珍しさもある。旅の歌が多い作者だが、歌は見聞の記録を超えて、「命」の深いところをくみとり、言葉にする。上記の「大包丁に」の歌から見えてくる労働の現場、「3キログラムのこうがん」の歌に見える生物の「命」の具体的な姿などがそうだ。
巨船しずかに泊ており深き吃水の暁(あけ)の鹿島灘の水を抑えて 『旅の方位図』
自然の景を詠んでも、やはり根底に「命」を太く、みずみずと捉える感性が働いている。
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