身ごもりし娘と自転車を押してゆく祖師ヶ谷大蔵処々梅花盈(み)つ

池本一郎『藁の章』(1996年)

祖師ヶ谷大蔵(そしがやおおくら)は、東京都世田谷区、小田急電鉄小田原線の駅名だ。現地をよく知る人が読めばまた違った感想があるかもしれないが、説明できるほどの土地勘を持ち合わせていない私が読んでも、ちょっと祖師ヶ谷を歩いてみたいという気にさせるほど、向日性に充ちた明るい歌だ。地名の「祖師ヶ谷大蔵」と、端的に景色を述べる「処々梅花(ばいか)盈つ」を組み合わせたリズムの良い下句が魅力である。

 

おそらく、作者も祖師ヶ谷大蔵に日頃から馴染んでいるわけではないのだろう。祖師ヶ谷大蔵あたりに住む娘を訪ね、一緒に歩いているところだ。身ごもった娘の自転車を押してやっているのである。娘と一緒に歩くこと、娘のおなかには新しい命が宿っていることを心から喜んでいるふうだ。細かいところだが、「処々梅花盈つ」が実に効いているのである。「処々」は、「あ、ここにも、あそこにも」といった具合に、歩いているだけで目が次々に梅の花がとらえる感じだ。どんな梅の花であってもよいが、私はごくポピュラーな、白い梅花を思い浮かべた。さわやかな色合いで、1首に清新な空気を添える。嬉しさがでれでれとせずに、すっきりと爽やかに表れているのも下句のためだろう。

 

父の立場から娘の身ごもりをこれほど明るく、うきうきとした心持ちでシンプルに詠う歌も珍しい。心が伸びをしているような歌だと思った。

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