今夜どしゃぶりは屋根など突きぬけて俺の背中ではじけるべきだ

枡野浩一『ますの。』

 

初句の激しさに、思わず呑みこまれる。読者はまず「コンヤドシャ」という五音の鋭さに貫かれる。次に、あるかないかのかすかな音の途切れを越え、息はそのまま「ブリワ」と音をなす。 ここまでに込められた感情の力は相当なものだ。さらに「屋根など突き抜けて」と一気に言い切られ、そして「俺」という一人称の切なさが際立つ下句にはどこか、無頼の香りがある。

 

こうして読むとまるでロック歌手のシャウトのようだ。しかしその反面、全体にあふれる諦念の色濃さにも直面させられる。それは「背中」という後ろ向きな一語、そして「べきだ」という結句が引き出す効果だろう。この結句は、歌中の叫びが実際には叫ばれていないことを示している。例えどんなことがあろうとも、土砂降りは俺の背中には降り注がない。こうしてこの一首は、単なる直情の発露ではなく、アンビヴァレントな感情の交錯として読者に提示される。

 

一首の背景に何があるのか、挫折か、失恋か、敗北か、失望か、それはわからない。人生の具体的なシーンを歌より遠ざけ、その後の心の動きだけを端的な言葉でつかみ取る。多くの読者はそれを己の実感の中に意識せずに置き換え、深く共感する。しかし同時にこの一首の奥底には、「屋根」の下で人工的な明かりに照らされる「背中」がしらじらと浮かんでいることも忘れてはならない。雨を浴びることもできず、ただ丸めることしかできない、ただ一人の人間の背中が。

 

  悪口は裏返された愛だけど愛そのものじゃないと思った

 

簡単な言葉だけしか使われていないのに、思わず感嘆してしまう「かんたん短歌」の提唱者として知られる枡野。当然、その短歌は、簡単ではない。ある種のリゴリズムと客観的な感情把握に基づく口語調短歌は、現在進行形で現代短歌シーンに影響を与えている。

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