終わりたる友情なれど植えくれし万年青(おもと)は今年もつぶら実を抱く

久々湊盈子『あらばしり』(2000年)

「終わりたる友情」と端的に示されているが、考え始めるとなかなか複雑だ。何らかの問題があって絶交したのか。あるいは、頻繁に会っていたのが間遠になり、お互いに自然と遠ざかっていったのか。あるいは相手が亡くなるなどしてもう心のやりとりがかなわなくなったとか。ご近所さんとしての付き合いがあったが、その人が引っ越してもう会わなくなったとか。さまざまな読みができそうだが、私は「自然消滅」がしっくりくるように思った。自宅に植物を植えてくれたことがあり、それほど気のおけない付き合いをしていた時期もあったが、なんとなく交流が途絶えた。かなり時間がたってから、「ああ、あの人と仲良かった時期もあったな。もう会うこともないだろうけど」と気がつく。

 

人によるかもしれないが、そもそも「友情」に明確な終止符はない(絶交宣言でもすれば別だけど)。会わなくなって、「あ、たぶんもう会わないだろう」と自分一人でふと気づいた時に、なんとなく終わるのだろう。かなしいことではあるが、人はこうした心の動きを繰り返しながら生きている。そのふとしたかなしみを、この歌はすくいとっている。

 

万年青はあおあおとした光沢のある葉をもつ観葉植物だ。秋に赤く、つぶらな実をつける。なんとなく終わってしまった友情だけど、毎年実をつける万年青の姿に、それを植えてくれた人のことを思い出す、という下句だ。決して苦々しい思いがするのではなく、「今年も」という言葉には温かい気持ちがにじんでいる。「なれど」や「くれし」にもやはり、やさしい気持ちがにじむ。現在がどうであれ、確かにあった友情をなつかしく、大切に思う一首である。

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