夕かぜのさむきひびきにおもふかな伊万里の皿の藍いろの人

玉城徹『樛木(きゅうぼく)』(1972年)

 

一読後、どんな印象がのこるだろうか。私は、確たる場面ではなく、ただ夕暮れの風、色をつければ藍色の肌寒いような風の感触を覚えた。

歌意は大略、夕暮れの風の音を聞いて、伊万里焼の皿に描かれた藍色の人物を思う、というのみだ。伊万里の皿の絵というと、中国風の山水画が描かれているのだろう。その中の人物は衣服の裾がかすかにひるがえっていたりして、風を感じさせる。皿の絵のことなのだが、「藍いろの人」というと妙に実在感が増している。皿の絵のなかの風と、作者が感じている「夕かぜのさむきひびき」が、絵と現実の境界を超えて吹きかよっているような印象が生まれている。

  冬ばれのひかりの中をひとり行くときに甲冑は鳴りひびきたり

同じ歌集から引いた。掲出歌と同じく、読後には具体的な場面ではなく、冬ばれのひかりを反す甲冑のきらめきと硬質な音が、感触としてのこるのである。いま作者が甲冑を着ているのか、というような疑問はいらないのではないか。「感触」を生む、言葉としての「甲冑」である。

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