大馬(おほうま)の耳を赤布(あかぬの)にて包みなどして麥酒(ビイル)の樽(たる)を高々はこぶ

斎藤茂吉『遍歴』

 

この文章が載る日には、僕はミュンヘンにいます。さて、今から約90年前、かの斎藤茂吉もミュンヘンに留学していた。大正10年11月3日に門司を出港、大正14年1月2日に神戸に着くまでの洋行で、その間、ウイーン滞在時の歌を『遠遊』、ミュンヘン滞在時とその後の欧州漫遊、帰航時の歌を『遍歴』にまとめた。茂吉の膨大な歌業の中で、これらの外遊詠が高く評価されることは少ない。取材時期と編集時期(昭和16)、出版時期(昭和22, 23)が大きくずれていることの問題(外遊中には茂吉は歌を作っていなかったのでは、という説が強い)や、日記風の雑詠が多いことによるものだろう。

 

とはいえ、じっくりと読んでいけば面白い歌の数々に出会える。掲出歌、ビールの都と称されるミュンヘンらしい光景だ。「おほうま」という初句の導入に、大きな馬にいきなり出くわした時の驚きがにじみ出ている。その馬が「赤布」で耳を覆っている、という描写も、なかなかに実感がある。そして下句には、運ばれてゆくビール樽を見つめるうちに、なんとなく心が楽しくなってくる主体の感情がよく表れている。もちろん茂吉も、有名な「ホープブロイハウス」でビールを愉しんでいる。

 

  街頭を石炭車(せきたんぐるま)ひきてゆくをとめのにほへる面(おも)わつひに忘れむ

  ゾルフ大使の無事を報ぜるかたはらに死者五十萬餘と駐せる

  はるかなる國とおもふに狹間(はざま)には木精(こだま)おこしてゐる童子(どうじ)あり

  槍もてる騎馬兵の一隊も護(まも)り居り事過ぎたりとおもふごとくに

  雪雲(ゆきぐも)はけふも立ちたりバヴアリアは高山(たかやま)のくにその空の雲

  

一首目、石炭車をひく少女のすがたに心動かされつつ、夜にはその顔を忘れてしまう。旅人としての吾のありかが見えてくる。二首目、茂吉はこのミュンヘンで関東大震災の報に接した。ドイツでは死者50万人と報道されたようで、茂吉の驚きはいかばかりだったろう。しかしその報も、ドイツ人大使無事の報の脇に添えられているだけだ。三首目は『遍歴』の中ではよく知られた歌だろう。イサール河に取材した作で、遠くに来たな、という感慨が、どこかシュールな景に溢れている。四首目は、ヒトラー一揆に遭遇した折の歌。五首目は日本の景を表現するかのような調子の中に放り込まれた「バヴアリア」の語に、不思議な感覚がある。こういう歌を見ると、旅行詠、外遊詠の難しさを痛感すると同時に、作者の思いを裏切って予想外の抒情をはらむ、短歌の不思議さを思う。

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