A god has a “life file”, which is about the collapse of my cool core. (罪色の合わせ鏡のその奥の君と名付けた僕を抱き取る)

中島裕介『Starving Stargazer』

 

罪 色 の 合 わ せ 鏡 の そ の 奥 の 君 と 名 付 け た 僕 を  抱 き 取 る
A god has a “life file”, which is about the collapse of my cool core.

 

一応、歌集の表記に近い形で記す。今日は頭の体操だと思って、こんがらがった話にお付き合いください。

 

一般に短歌は縦書きだが、横書き歌集も少数ながら存在する。本歌集はその一冊。収録歌の多くは英語などで表記され、ルビ(ふりがな)として日本語短歌が記載される。それは単なる和訳ではなく、大きな意味の乖離をはらむ。そもそも歌自体が「正しい英語」ではなく、音韻の効果やイメージの跳躍を得るためか、意図的に文法を捻じ曲げている。意味を〈解釈〉せんとする読者の意図をはなから拒んでいる。

 
とはいえまずは〈鑑賞〉してみよう。主語が固有名詞の“God”でなく一般名詞の“A god”なので、「多神教」の一神だと分かる。もしくは神のように崇拝される人間か、アイドルかもしれない。その“A god”が手にするのが“life file”。暮らしのファイルなら生活情報満載の書籍、人生のファイルならアルバムか日記類だろう。そして、命のファイルなら遺言書か、人間の寿命を記した死神の手帳かもしれない。“A god”に直結しそうなのは最後の例だが、それに限定する根拠もない。むしろ、“life file”の内容を推測するたび、持ち主の“A god”の属性が変化する。この歌では、現実の意味が言葉化されるのではなく、言葉そのものが言葉の意味を規定してゆく。

 

下句によるとこの“life file”は、“my cool core”の崩壊に関係したファイルらしい。このcoreは「私の心や精神」の比喩かもしれないし、自分をロボットかアンドロイドになぞらえたSF的表現かもしれない。そしてcoreから「核」を想起した時には当然、放射性物質などの核の崩壊のイメージも生じる。そうして言葉は無限の意味を繁殖させ、無限の上句と無限の下句とが何通りもの融合を繰り返し、互いの関係を生まれ変わらせる。そしてその関係は、短歌本文と日本語のルビとの関係にも広がる。

 

ベ ツ レ ヘ ム に 導 か れ て も 東 方 で 妻 ら は 餓 え る 天 動 説 者
Staring at the star of Bethlehem, she’s a starving stargazer!

 

覗 き 込 む 僕 を 模 様 に す る 君 は 悪 夢 の よ う な 万 華 鏡 以 て
Please keep me keen to kiss a knight of knowledge in a Kafkaesque Kaleidoscope.

 

中島が短歌本文を日本語以外で筆記した理由もそこにあるだろう。中島は日本語を、短歌の構造を、そして、それを読む<日本語話者>の「解釈」を一度まっさらにし、意味の地平からの再構築を試みているのだ。掲出歌で言えば、日本語のルビの方には、己の中の他者を見つめつつ、そうした複層性の中で生きること自体に罪を感じ、その連鎖の中から抜け出せない苦しさといったものが込められているように思う。私は「私である」ことと「私ではない」ことのあわいに生きねばならず、「私」から逃げるという罪を永遠に抱える。そんな自己が幻視する神、すなわち、“life file”を手にした“A god”とは一体何だろう。もはやこの歌の中では、通常の意味での「神」ではありえない。無限に変化を繰り返し、「神」という概念すら廃棄し続ける「神」ではないか。それは畢竟、「私」の無意識の地平を越えた地点にあるかもしれない、「私自身」であるかもしれない。

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