おまえの世界に存在しない俺の世界のほぼど真ん中ガムを噛んでいる

斉藤斎藤『渡辺のわたし』(2004年)

『渡辺のわたし』の中では私はこの歌がもっとも好きだ。「俺の世界」がどのようなものなのかは語られない。語る言葉を、表現する手段を「俺」はもしかしたら持たないのかもしれない。しかし、間違いなく「俺」は「俺の世界」にいる。その揺らがない事実と確信が「ほぼど真ん中ガムを嚙んでいる」という不敵な姿勢で表されているのだと思う。「おまえの世界に存在しない」と厳しく述べて、「おまえ」という他者と「俺」とを分ける。他者による安易な共感や同調、理解めいたものを拒む。そういった安易なものを示す「おまえ」を蔑している気配すらある。もしかしたら、「おまえ」は読者を指しているのかもしれず、読むそばから不快を味わわされ、しかし、この「俺」の言っていることは私の本音でもある、と思わされる。音数は8・7・7・7・8だ。一句一句を太い線のごとく、ずいっずいっと述べているようなリズムが、「俺」の動かしがたさそのものであるように思われる。

 
  

  夜の闇に、昼はむなしさにささえられ窓はどうにか平らにやってる

  あなたの空もちゃんと青くてサンダルはあなたのかかとにぴったりしてる

 

 
「俺」についての考察と、「俺と他者との関係」は、『渡辺のわたし』の重要なテーマの一つだろう。1首目の「窓」は、夜には闇を、昼には外の景色を映す窓そのものを歌っているけれども、「むなしさ」や、「どうにか平らにやってる」という窓についての解釈には、「俺」の気持ちも反映されているだろう。掲出歌では動かしがたい「俺の世界」が強固に叫ばれているが、「どうにか平らにやってる」はもろい「俺」の嘆息にも聞こえる。2首目は、幸福感に満ちた一首だ。サンダルをはいた「あなた」が空を見上げている。その後ろ姿を「俺」は見ていて、「あなた」ごしに青空を見ている。「あなた」の目に映る空も「ちゃんと」青いということを「俺」は知っている。つまり、同じ青い空を見ていると思えるほどに「あなた」のことを確信をもって理解している。掲出歌で示されたように、他者との断絶を心得る人が、「あなた」を理解し、また理解していると自覚することを自分に許すのはかなりハードルが高い。もちろん、掲出歌を踏まえなくとも「サンダルはあなたのかかとにぴったりしてる」というだけで、その奇跡みたいな充足感は十分に表されている。

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