一歳のむすめと乗りて鞦韆(しうせん)の果てざるひびきふるへつつ聴く

日置俊次『記憶の固執』(2007年)

鞦韆。ブランコ。ふらここ。
春の季語。漢字のなかに<秋>があるのに、春の季語とは。
中国の詩人、蘇軾の七言絶句「春夜」に「鞦韆院楽夜沈々」とあることから春の言葉になったらしい。
あたたかな春の風にゆらりゆらり揺れるブランコ。

ブランコは、子どものころ誰もが遊んだことのある遊具だ。おもいきり揺すって、見ている大人を恐れさせたり、揺らしながら靴を飛ばしたりして遊んだりもした。
空に投げ上げられ、落ちて戻って、また高くのぼる快感。
今はきっと、あんなふうにおもいきりブランコを揺らすことはできない。

1歳のおんなのこを膝にのせて「鞦韆」を揺らす。
「果てざるひびき」とは、金具の軋む音が繰り返しきこえているようすであり、同時に、胸の高なりをおもう。
「鞦韆」に、おさなごと揺れるときのおもいがけない喜びが、子どもの頃の記憶とはちがう胸のひびきとなってからだに滲みとおる。
「鞦韆」を揺らし続けるかぎり、金具は軋み、胸のひびきもやまない。
けれど、その時間は永遠ではない。「ふるへつつ聴く」にそんな哀しみを感じる。

永遠ではないこの一瞬を自分はきっと忘れないだろう、という寂しさと喜びが入り混じった感情。
「果てざるひびき」に読者はしずかに耳をすませる。

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