まがね鎔け炎の滝のなだれ落つる鎔炉のもとにうたふ恋唄

                                                                          佐佐木信綱『新月』(1912年)

 

 信綱の第三歌集(刊行順としては二冊目)『新月』の巻頭歌である。第四句までは「恋」をみちびく序のように考えたら良いだろうか。歌意をとると「鉄が溶けて炎の滝となったものが流れ落ちている溶炉のもとで、その溶炉の炎の激しさのように私は激しい恋の歌を歌っていますよ」ということになろうか。溶炉のような激しさの恋と言われても、現代の私たちの感覚からすると、ちょっと大げさというか違和感がある歌のように感じられるかも知れない。しかしながら次のような歌を参考にするとどうだろうか。

 

人しれぬ思ひをつねにするがなる富士の山こそわが身なりけれ
                             読人しらず 『古今集』
きみといへば見まれ見ずまれ富士の嶺の珍しげなくもゆるわがこひ
                             藤原 忠行『古今集』 

 

 みずからの恋心の激しさを富士の噴火に例えることは、古典和歌でもあったようである。信綱のこの歌は、富士の噴火の激しさを溶炉の炎の激しさへと、現代的に変換したと言えなくもない。八幡に官営の近代的製鉄所が出来たのは1901年だどいう。新しい時代の文明・技術の息吹を、題詠的ではあるが恋歌へと詠み込んだ信綱にとっては意欲作だったのではと思う。

 

 もっとも同時代の評価は必ずしも高くなかったようで、古泉千樫は「この一首でもよく解るやうに如何にも作者内生活の燃焼がない。故に作者の心持を味ふよりも先に鎔炉と恋唄の調和対照の関係だけが目につく。生のひびきが表現せられるより先に物の関係が理解せられるのである」(「アララギ」1913.2)と辛辣に批評している。すでに自然主義が流行しており、作中主体の赤裸々な感情や生な感覚のリアリティーが求められることも多かった時代に、信綱の試行はいかにも微温的であり生温いと歌壇の若手からは感じられたのかもしれない。
 
 しかしながら『新月』は他にもさまざまな試行をしている、意欲的な歌集である。

 

野の末を移住民など行く如きくちなし色の寒き冬の日
虻は飛ぶ、遠いかづちの音ひびく真昼の窓の凌霄花
妖怪(あやかし)が胸に彫(ゑ)りつる黒き影我が眼界(まなかひ)を去らぬ悲しさ
大いなる荷物背負てたどりゆく老人(おいびと)をふと我かとぞ思ふ
流しもとよくかたづきて二坪の空地に咲ける朝がほの花
ただ一人修道院にあるごときおもひに向ふ秋のともし火

 

 三首目、妖怪が胸に彫った黒い影とは不気味なイメージだが、そのような不気味なイメージが視界を去らないというのは、どこか心の暗部を言い当てているようだし、五首目、「流しもとよくかたづきて」は日常生活の褻の部分の手触りを確かに言い当てていると思う。

 

 全体としては確かに微温的な所もあるかもしれないが、すでに獲得していた文体で新時代のテクノロジーから文芸思潮までをなんとかフォロ―しようとしていた苦心の跡が見える歌集のように思われる。

 

 

 

注、引用歌では省いてあるが、『新月』は総ルビの歌集である。

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