カツ丼とおやこ丼とはちがふから慌てずに見よどんぶりの柄

池田はるみ『南無 晩ごはん』(2010)

 

何人かで注文した丼物が、一度に運ばれてきた。親子丼を頼んだはずの人が、空腹のあまり、よく確かめもしないでカツ丼に箸をつけそうになっている(あるいは、カツ丼と親子丼の見分けがつかず、「俺の頼んだやつ、どれ?」と騒いでいる場面かもしれない)。語り手は穏やかな口調で、「まあ、落ち着いて。あなたが頼んだ親子丼は、これですよ」と教えてやる。

たしなめられている人も微笑ましいが、たしなめている語り手の方も面白い。確かに、カツ丼と親子丼で、違う柄(がら)のどんぶりを使っている店はある。が、ごはんに載った具ではなく、どんぶりの柄の方をよく「見よ」と指摘するのは、なんかこう、微妙にずれていないだろうか。賑やかでユーモラスな食事の風景に、思わずふふっと笑ってしまう。できたての丼物から立ちのぼる湯気までが目に浮かぶようだ。

大らかで温かみのある文体は、池田はるみのトレードマーク。「おやこ」「ちがふ」「どんぶり」というひらがな書きが、一首の佇まいを一層柔らかいものにしている。

 

第5歌集『南無 晩ごはん』には、幼い二人の孫たちや、次第に記憶を失っていく姑との思い出などが綴られている。あちこちに顔を出す食べ物の歌は、ある家族の歴史を象徴しているようで印象深い。

 

  衣きて天女のやうなかき揚げと思ひてあとは茫々 知らず

  おお、おおと大桃を食べまんぞくの二歳のうしろ月がのぼりぬ

  覚えむと繰りかへしつつ姑(かあ)さまはゆびさしていふ飴のありかを

 

あっという間に食べきってしまったかき揚げや、小さな子が抱えるようにして食べる大桃の、何とおいしそうなことか。何度確認しても在り処を忘れてしまう飴玉は、たまらなく切ない。

 

歌集の終盤では、ついに「姑さま」との別れが語られる。そして、最後に置かれた「霰」という短い章。

 

  四世代みなが揃ひて食事せりそののちあらず一度きりなり

  延べた手を胸にたたみてトーループ大切なたいせつな浅田真央

 

「姑さま」がいた頃、四世代で囲んだ食卓。テレビのなか、素早く回転する浅田真央の姿(「大切なたいせつな」は、丁寧にジャンプを決める浅田の様子と、彼女を慈しむように眺める語り手の思いの、両方にかかっているように見える)。何気ない記憶のひとコマひとコマを描いたこれらの歌に、私はちょっぴり泣いてしまって、それから、平穏な日々の儚さと尊さを、しみじみ思わずにはいられなかったのである。 

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