含み笑いをしながら視線逸らしたる生徒をぼくの若さは叱る

染野太朗『あの日の海』(2011)

 

含み笑いをしながら視線逸らす。声に出して反抗する訳ではなく、冷やかにコミュニケーションを拒むやり方だ。これをやられた先生が、ダメージをくらうことは想像に難くない。

「ぼくの若さは叱る」という表現が絶妙。「こんなことで叱ってしまう自分は未熟だ」という苦い思いと、「自分はまだ若く、生徒とのコミュニケーションを諦めていないからこそ、こうして体当たりでぶつかってしまうのだ」というかすかな自負が、ない交ぜになっているように見える。

 

染野太朗は中高一貫校の教師をしている人。『あの日の海』には、教育の現場で葛藤する様子、苦悩の末に心を病んでいく過程、そして妻との関係が、剥き出しの言葉で綴られている。

 

写実的で喩の少ない作風のなかに、時々「海」のモチーフが出てくる。

 

  白き陽を反(かえ)しきれない海のような教室で怒鳴る体育のあとは

  解答をあきらめた順に生徒らは机に伏して航海に出る

  今日もまた聞こえなかった 生徒らの私語にまぎれた海月の声は

 

こうして並べてしまうと、やや一本調子というか、安易に「海」を出しすぎているきらいはあるが、それだけに、強い思い入れが感じられる。教壇に立って生徒たちを見下ろすとき、茫漠とした海に一人で立ち向かっているような気持ちになって、途方に暮れる。肩の力を抜けない生真面目な教師であればこその心労が、ひしひしと伝わってくるようだ。

この系統では、個人的には次の一首がお気に入り。

 

  一月の昼休み終えて教室に生徒のような貝が微動す

 

この歌もまた、反応の返って来ない無力感、昼の気だるさをテーマにしているが、「貝のような生徒」ではなく「生徒のような貝」とまで言っているところに軽い諧謔を感じる。そこが、いい。

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