回覧板読むまへにシャチハタの判を押す癖は変はらず母の日々(にちにち)

有沢螢『ありすの杜へ』(2011)

※「シャチハタ」は原文ママ

 

町内の回覧板。読み終えた家は、バインダーの一番上に挟まれた用紙に印鑑を押し、次の家に回す。けれども(我が家でもやってしまった記憶があるが)、たまに印鑑を忘れて次へ回してしまうことがある。

「母」は、そんな失敗がないよう、回覧板が回ってくるとすぐに印鑑を押してしまうのだという。何気ない「癖」の中に、日々を丁寧に生きる母の人となりが透けて見える。

しかし、「癖は変わらず」という表現には、微妙な屈託が感じられないだろうか。実は、母は、小さな癖は変わらぬまま、大きく変化を遂げつつあるのだ。

 

『ありすの杜へ』というタイトルから、私は勝手に可愛らしいイメージを抱いていた。有沢さんのこれまでの歌集(『致死量の芥子』『朱を奪ふ』)に華やかな印象があったこと、「有沢」と「ありす」の頭韻、それに『不思議の国のアリス』の連想もあったのだろうか。

ところが、「ありすの杜」とは、「母」の入所した高齢者施設の名前なのだという。「一卵性母子」のように過ごしてきた二人は、母がアルツハイマー型認知症を発症することによって、ついに別の道を歩み始めることになった。歌集には、

 

  そつと忘れゆくもののひとつにむすめらのなまへもありて母の晩秋

  フランス製の絵具の黄色丹念に顔に塗りたる母が出迎ふ

 

といった歌もあり、抜き差しならない状況を伺わせる。だが、私は胸を衝かれたのはむしろ、そうした歌の間にそっと置かれている、「回覧板読むまへにシャチハタの判を押す」ような歌だ。

 

  明治屋特製マーマレードの空き瓶が母の金庫にしまはれてをり

 

明治屋特製マーマレード(ちょっと高級感のあるジャム)の空き瓶を、大事に保管しておく母。もちろんここにも認知症の影があるが、マーマレードの瓶には、母がこれまでの人生で大切にしてきた日常が詰まっているようで、愛おしい。

 

  しやんしやんとブリキの太鼓をたたくたび人形はすこし立ち位置ずれて

 

変化は忍び込むようにやってきて、決して元には戻らない。それでも、日々は穏やかに過ぎていく。

 

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