小島ゆかり『憂春』(2005)
数年前、月例の歌集勉強会がバレンタインデーと重なったことがあった。
ちょうど家には、縦30センチ、横15センチ、厚さ1センチ以上の巨大な板チョコレートがあった。20人ほどの勉強会だから、みんなで分け合って食べたらいいだろう。大きすぎてちょっとウケるかもしれない。そのくらいの感覚で持って行った。
ところが、蓋を開けてみればその日は、参加者のすてきな差し入れが盛りだくさんだった。堂園昌彦くんが焼いてきたふわふわのチョコレートシフォンケーキや、田口綾子さん手作りの美味しいチョコチップクッキーなどを前に、私の板チョコは圧倒的不人気。挙げ句、黒瀬珂瀾さんから「これ、原材料じゃん」とツッコミまで入れられてしまった。なんというか、もう、完敗である。
せめてものリベンジのため(?)、今日はチョコレートが美味しそうな歌を選んでみた。
銀紙の包みを開くときの、特別な嬉しさ。「角やはらかき」という表現からは、寒い季節に食べるチョコレートの、硬くて滑らかな感触が伝わってくる(この感じ、板チョコにしか出せまい)。
かすかに立つ霧とは何か。きんきんに冷えたチョコが冷気を発している様子と捉えてもいいかもしれないが、チョコから立ち上る甘い香りも、霧っぽいなと思う。
全体を読めばちゃんとチョコレートの歌だとわかるが、「霧立ちて角……」の部分だけを見たときに、一瞬ロンドン辺りの街角が目に浮かぶ。そのことが、一首を重層的にしている。
連作は、この歌の後こんなふうに続いていく。
チョコレートの肌くもりつつ はるかなる夜霧の町を貨車は行くべし
チョコレートのぎんがみありき雪山で死にたる友の遺品の中に
白骨が粉雪となり降る夜をおもへばしづかすぎるこの夜
ぎんがみを手はたたみつつ霜の夜をぎんがみのこゑ小さくなりぬ
きめ細かい「チョコレートの肌」にうっとりし、遠い町へと心を遊ばせていると、思いがけなく「遺品」の歌にぶつかって、どきっとする。
チョコレートの包みを開けてから、食べ終わって銀紙をたたむまでの短いひととき。そこに、静かな記憶のドラマが隠されているのである。