遠き国の雪積む貨車が目前(まさき)を過ぎ瞳吸はるるわれと少年

田谷鋭『乳鏡』(1957)

 

昨晩の予報でも「雪になるかもしれない」とは聞いていたけれど、朝起きてみたら予想以上にしっかり降っていったので驚いた。横浜でこんなに積もるのは、たぶん今年初めてだ。私の部屋は比較的暖かく、この冬一度も暖房をつけたことがなかったのだが、2月末にしてついにリモコンに手をかけた。

 

 

雪をかぶったまま通り過ぎていく貨車を、語り手と少年が、並んで見送っている。

おそらく、二人のいる町には雪が降っていない。だからこそ、貨車に積もった貨車を見て、遠くから来たのだろうと想像しているのだ。

「瞳吸はるる」という言葉には「遠き国」への憧れも込められているのだろうが、しみじみと「遠い国」に思いを馳せるというよりは、目の前の美しい光景に夢中で見入っているようなニュアンスが感じられる。

四句目まででも十分美しいのだが、この歌をさらにピュアなものにしているのは、結句の「われと少年」だ。貨車が轟音を立てて過ぎていく一瞬、まるで同じ「瞳」を共有しているかのように、二人の心の動きがぴったりと揃う。瞳は、きらきらと輝いていたことだろう。

 

『乳鏡』には、目の前にある物や色に見入る歌が多い。貧しい日々の悲しみや怒りを忘れ、見ることの喜びに心を全て明け渡しているような、清らかな境地が魅力である。

 

  草ごもりに湯の管(くだ)つづく道を来ぬかたつむりの殻の濡れたるも見て

  かすかなる凹凸ありて壁の青を邃しとおもふ厠なれども

  洋傘の黒きかさなりが埋みゐるテレヴィジョンに力士輝きてゐき

 

1首目は、「かたつむりの殻の濡れたる」という、微小なところにピントがあっているところが面白い。

2首目の「邃し」は「ふかし」。厠の壁の色に奥深さを感じている視点が独特だ。

3首目は、1953(昭和28)年頃の作。この年の2月、NHKのテレビ放送が開始された。雨の中、街頭のテレビに詰めかけた人々。黒い傘を搔き分けて覗くテレビが、とてもまぶしい。

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