夕ぐれは焼けたる階に人ありて硝子の屑を捨て落すかな

近藤芳美『埃吹く街』(1948)

 

1945年9月、結社誌『アララギ』復刊の準備が始まる。近藤芳美は32歳。師から求められるまま出詠した一連の中に、この歌はあった。

京橋に勤務していた近藤芳美は、終戦の翌日には職場へ戻る。会社は焼け残っていたが、両隣のビルには爆弾が落ち、都心一帯が焦土と化していた。

道を歩いていると、焼けてガラス窓も落ちてしまったビルから、誰かが外に投げ捨てたガラスの屑が、ばらばらと落ちてくるのが見えた。階上から外にガラスを落とすとはちょっと荒っぽい作業ぶりだが、当時の状況を思えばさして珍しい光景ではないのだろう。焼け跡を片付ける「人」の疲れや荒廃した心まで、間接的に伝わってくる。

ただ、この一首は、単に敗戦直後の都心を活写している歌に留まらない、独特の美しさがあるように思う。「焼けたる階」という表現は、街の荒廃を端的に切り取っているが、「夕ぐれ」「焼けたる」とつながることで、わずかに「夕焼け」を連想させる(近藤芳美がそれを意図していたとは思わないけれど)。「夕ぐれ」という大きな景から入って、「焼けたる階」→「人」→「硝子の屑」と、視点が絞られていくところも巧みで、夕暮れの鈍い光に一瞬照らされるガラス片、それが地上に落ちたときの音などが、鮮明にイメージできる。結句を「かな」と詠嘆で収めているところも味わい深い。

 

  水銀の如き光に海見えてレインコートを着る部屋の中

 

不思議な歌だ。事実をそのまま書いているのかもしれないが、遠くに光る海の水とレインコートが、仄かに感応しあっているような気がする。

寺山修司がこの歌について「このみずみずしいおどろきは、『部屋のなかでレインコートを着てみる』という行為によって、日常の現実が意識から除去されることによって生まれたものであることだけは、確かなようだ。この歌、『室内逃亡者』の感傷としてみるとき、なぜかさびしい歌ではあるまいか?」(「現代百人一首」)と書いたのは、有名な話。「室内逃亡者」という表現が的確かどうかはともかく、この歌には確かに、表面的な事実以上のものを読み取りたくなる、何かがある。近藤の弟子である田井安曇も「暖房の通らない清水組社屋から東京湾の海面が見えており、寒いので各自レインコートを着たまま働いている、というのが一つの事実であろう。しかし、『水銀の如き光』に見えている『海』は、近景の『レインコート』と重なって、それまでの日本人が少なくとも短歌では持ち得なかった現代抒情が完成する」(『短歌シリーズ・人と作品 近藤芳美』)と評している。

「レインコートを着る」という場面の解釈は、寺山と田井とでかなり異なっているが、近藤芳美自身の解説は「京橋の、勤め先の一室である。一日が過ぎ、家に帰ろうとしてレインコートをまとう。昏れかける窓の外には焼け原の東京の下町が低くひろがり、そのはてに、暗く垂れ込めた曇りの下に一筋海がきらめいていた」(『歌い来しかた』)と、至ってシンプル。なるほど、帰宅時にコートをまとっている瞬間と捉えれば無理がない。

それでもなお不思議な感触が残るのは、上の句から想像する風景に、雨が降っていないからだ(遠くの海が「水銀の如き光」のように見えるのは、晴れでも雨でもなく、曇りの日だけだ)。

「雨も降っていないのにレインコートを着る」という僅かな違和感が、「水銀の如き光」というシャープな比喩と相まって、この歌に、事実関係を超えた読みの広がりをもたらしているのではないだろうか。

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