上田三四二『遊行』(1982)
「さくら幻想」から。同じ一連に、
この盡きぬおもひよりなほ盡くるなき花のはるけき堤をゆきぬ
※「盡きぬ」=つきぬ
地上には人みそらにはかぎりなきひかりを蘊(つつ)む花ひしめきぬ
などがあるので、桜並木が続く堤を歩いている場面だろう。「地上には人」「みそらにはかぎりなき~花」と対比されていることから、花見客もかなり詰めかけている状況のようだが、語り手の心は人々の喧騒に捕らわれることなく、満開の桜に向かって開ききっている。
「叫喚」という語は、「叫喚地獄」のおどろおどろしいイメージもあるが、ここでは大声、叫び声くらいの意味と取っておきたい。
空一杯に、声にならない声が満ち満ちている。空間を埋め尽くすように咲く花を、視覚ではなく聴覚によって表現することで、満開の桜が持つ張り詰めた空気を的確に切り取って見せている。
「声」「こゑ」、「空ゆくと」「空みつる」と言葉をリフレインさせながら、聴覚から視覚に転換していく流れが巧み。「叫喚」という硬い漢語から始まって、「仰ぎつつをり」という柔らかい和語で終わる形も美しい。
さて、上田三四二の桜の歌といえば、何と言っても、
ちる花はかずかぎりなしことごとく光をひきて谷にゆくかも 『涌井』
が有名。1969年に吉野を旅したときの作で、連作のはじめに「吉野山の山麓温泉ケ谷に元湯なる鄙びたる一軒家あり。花にやや遅きころ、ゆきて留まること四日」と詞書がある。こちらは、仰ぐ桜ではなく、山の上から見下ろす桜。「ことごとく光をひきて」という描写が、息を呑むほど美しい。
この一連は、四日間のエピソードを(おそらく)時系列で並べているため、満開を少し過ぎた頃から葉桜になるまでの心の動きを追体験することができる。
なまぬるき風に落下の地にうごく春をたのしとかつておもはず
しづかなる狭間をとほりゆくときにわが踏むはみな桜の花ぞ
といった陶然とした歌で始まり、おしまいの方には、
ちりみだるる夕山桜いひがたき未練は花のしたかげあゆむ
嫁ぎゆく世のことわりをなげきたるをとめも永遠のものならなくに
わが去らん朝けの山よことごとく葉桜となりてあらはるるなり
といった歌がある。ほぼ情景描写に終始していたのに、最後になって「嫁ぎゆくをとめ」の連想が出てきてちょっと驚く。四日間の滞在で、散りゆく桜たちにすっかり感情移入してしまったのだろうか。
全国的にも知られた桜の名所ですから、もうご存知かもしれませんが、吉野の桜は標高によって4箇所に分けられます。調べたわけではないから断定はできませんが、短歌は葉桜まで詠まれているとのことですから、上田三四二は西行庵のある奥ノ千本辺りに逗留していた可能性が高いですね。
私は吉野山とは相性が悪く、花の盛りに行けた験しがありません。今年こそは。
雨宮さま。
いつも読んでくださってありがとうございます。
ちる花は…の歌の前には、
中千本上千本の花のふぶきひとつまぼろしを伴ひゆけば
があり、次の歌には「水分神社」が出てきますから、上千本辺りの場面でしょうか。
私は花の季節どころか、吉野自体に行ったことがありません…。いつか行ってみたいです。