君の髪に十指差しこみひきよせる時雨(しぐれ)の音の束の如きを

                   松平盟子『帆を張る父のやうに』(1979年)

 

  性愛の一場面であろう。君の髪に十本の指を差し入れる。摑んだ髪は、時雨の音の束のようだったというのである。摑んでいるのは君の髪に違いないのだが、性愛の途中で自分の感覚がどこか巨大化して、天の上から時雨を摑んでいるような気分になっているのであろう。いかにも大胆な捉え方であり、濡れた指には当然ながらエロスが感じられる。

 『帆を張る父のやうに』は松平の第一歌集である。二五歳での刊行であり、若書きの歌集ともいえるが、性の歌に限らず大胆な感覚の歌が多い。

 

西方へ陽を追ひ詰めてぴつたりと閉ぢ込めむとき闇のすそ燃ゆ

 

   日の入りを歌った作品であり題材的には珍しいものではないが、構図やものの捉え方がどこか大胆である。「西方に陽を追い詰めて」「ぴったりと」地平線の下へ「閉じ込めむ」とするのである。この主語が「われ」なのだとすると、ここでも「われ」が巨大化しているようだ。巨大化した身体感覚が「ぴったりと」陽は沈んでゆくのだと感知しているのである。太陽に比してちっぽけな存在である人間は、ふつうは太陽が「ぴったりと」閉じ込められるなどという捉え方をしないのではないか。「ぴったっりと」という言葉はこの歌では動かしがたく、ここに作者の身体感覚の特徴が出ていると思う。

 

目をつむり髪あらふとき闇中にはだいろゆふがほ襞ふかくひらく

 はなれ棲む君のみみたぶまぶたくちそよげ満月の暈もふくらむ

 闇は冷たき緻密なる網歩みゐるわれの鼻孔をひたと塞ぎ込む

 むすばれしくちびるの描く水平線陽(ひ)のやうな舌の現はれて吾(あ)を呼ぶ

 

 一首目、目をつむっているのだから「はだいろゆふがほ」は見えないはずなのだが、どこか超越的な視点の主体には見えるのである。むろん「はだいろゆふがほ」は女性の体をあらわすエロスであろう。三首目、「闇は冷たき緻密なる網」という捉え方は繊細で鋭敏だが、その闇が「鼻孔をひたと塞ぎ込む」という下の句は大胆である。「闇」と主体の体の大きさが同等であり、体にわしわしと闇が詰め込まれていっているようだ。極めて感覚的であり、性愛も、夕日も、闇も、自身の身体感覚で捉えうるのだという妙な確信のようなものがあると言えば言い過ぎだろうか。

 

 

するすると夕空を伸びる電線のどれもどれも繊き切り傷をひく

 太陽に押し倒されしわが影の地を這へば人の影と交はる

 湿ふかき午後の草原(くさはら)わけ入ればうつとりと草は隆起し始む

 びしよ濡れに西日浴みゐる竹群が撓みをりかすか生臭くして

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