君こそ淋しがらんか ひまわりのずばぬけて明るいあのさびしさに

佐佐木幸綱『群黎』(1970年)

去ってしまったこいびと。
君はさびしくないのか、とまっすぐに問いかける。素敵だ。
なにも纏わず発せられたこの言葉のちからの源泉は、若さだけではないだろう。

純朴。
それは、身につけようとしてむずかしいもの。保ちつづけたいとねがってもかんたんに失ってしまうもの。
そして純朴さは、ひとを感動させる。

ひまわりがゆれている。
子どものころは、陽のなかに立つひまわりが太陽のように強くて明るくみえた。
それがさびしい花になったのはいつごろからだろう。

この歌を読んでいて、ひととの哀しい別れを知ったころからかもしれないとおもった。

「ずばぬけて明るい」という大きく強い表現は、さびしさをよりいっそう際立たせる。
こいびとは帰ってこない。もう逢えないだろう。
まぶしいほどの喪失感を抱えながら、夏のあいだずっと立ちつくしている姿をおもう。
ひまわりか自分か、わからなくなるまで立っているのだ。

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