かぎりとて別るる道の悲しきにいかまほしきは命なりけり

                                『源氏物語』

 

 源氏物語「桐壺」の一首より。源氏物語中で最初に出てくる和歌でもある。病がいよいよ進んだ桐壺更衣が、帝の「限りあらむ道にも、後れ先だたじ」と、契らせ給ひけるを、さりとも、うち捨ててはえ行きやらじ」(「決められている死出の道にさえわたしたちはいっしょにと」、お約束なされたではないか。いくらなんでも、このわたしを残してはゆけますまいね)との問いに返した一首である。帝は病の重い更衣をなかなかその実家に帰すことをしなかった。当時は宮廷で人が死ぬことは、場を穢すことになりタブーとされていたようである。そんな中、自らタブーに肉薄するように、死の病にある更衣を手元から離すことができない帝の苦しみはふかい。思いが余っているのか、帝の問は散文の形でなされる。そんな帝に更衣は歌で答える。「いまは、それが定めとしてゆかなければならない死出の旅が悲しく思われるにつけて、私の行きたいのは生きる道の方でございます」。「いかまほしき」の「いく」は「行く」と「生く」の掛け言葉である。今、まさに自分は死出の道を「行こう」としているが、「生き」たいのは、つくづく自分の命であるよと、歌の形式を踏まえるという慎ましさのなかにも、しかし「生きたい」という更衣の心の叫びが詠まれているのだと思う。

 帝と更衣という立場をふと超えた、個人の愛の交歓と生への執着がどこか人間らしい―というのは現代歌人のわがままな読みだろうか。帝の更衣の心の推移が、この問答を通してありありと立ちあがって来るように私は思う。

 

 

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