岡井隆『伊太利亜』(2004)
便宜上、スラッシュを補って1行で表記してみたが、歌集では、
なんだか、
なんだかとつても
かなしいんだ
サン・マルコ広場の人
鳩まみれ
と、(空白行を含めて)6行書きになっている。このように多行書きされてみると、「なんだか、なんだかとつてもかなしいんだ」と1行に書かれていた場合以上に、何か訥々とした哀しみが立ち上ってくるのを感じる。5・7・5のリズムに収まりきらない、曖昧模糊としてはいるが闇雲に深い哀しみ。
ヴェネチィアを象徴する美しい広場に立っている時も、語り手の心はどこか冷えている。人の周囲を飛び回る鳩たちのように、自分自身の〈想い〉に包囲されており、完全に我を忘れて楽しむということがない。
一昨日、香川ヒサ『The Blue』を読んでいるとき(http://www.sunagoya.com/tanka/?p=8431)、対照的な歌集として思い出していたのが、岡井隆の『伊太利亜』だった。『The Blue』が上空から宙吊りのまま行く旅だとすれば、『伊太利亜』は、語り手「われ」(=作者?)の呼気と吸気を至近距離に感じながら行く旅である。「0 帰国後」「1 旅の前の落ち着かぬ時」「2 空港までの彷徨」「3 フィレンツェへ行く空路」「4 フィレンツェ数日」……という章立てからもわかる通り、読者は旅程を辿るようにページをめくっていくのだが、そのどのページにも、憂愁に満ちた「われ」の姿があるのである。
少し端の折れたタオルが足
元に捨てられたやうに蒼く
ヴェネチィア
虫垂炎の
やうな疼きが
旅先のどこにもありて
パドヴァ
まで来た
石から来る冷たさばかりではなくて
長袖にかへて
ミラノを 歩く
重苦しき絵
から放たれ
はなやかに
日傘をひらく
われもわれらも
いずれの歌も憂いを帯びており、しかし(その豊かな韻律によるものだろうか)、どこか旅の華やぎも感じられる。
岡井隆の歌集は一冊一冊に別のコンセプトがあり、新しい一冊が出るたびに、その紛れもない〈新しさ〉に心底おののいてしまうのだが、中でも、私が特に偏愛するのがこの『伊太利亜』である。小ぶりで横長の変型本、横組み・多行書きの美しい文字組み。本自体が、異国からの珍しい贈り物のようだ。