病むわれをなぐさめがほに開きたる牡丹の花を見れば悲しも

 

                      正岡子規『竹の里歌』(1904年)

 

 

 周知のように、子規は晩年結核を病んでいた。「病むわれ」は結核に苦しむ子規のことである。病んでいる子規を慰めるような顔をして、牡丹の花が咲いた。その花を見ていると、自分の身の上が思われてたまらず悲しくなったのである。明治三四年の歌であり、同三五年の九月に亡くなった子規の病勢は募りつつあり、シリアスな状況にあった。しかしながらこの歌に私はかなしみと同時に、幾分の明るさも感じる。

 それは、「なぐさめがほに開きたる」という擬人にあるのではないか。花の開いた様子を、私を慰めてくれているような顔だとする思考の中にはユーモアがある。単なる例えではなく、「われ」と「牡丹」のあいだに、わずかな対話がある。まあ、そんなに慰め顔をしなさるなよと、花に語りかけているような子規の顔がちらと見えるように思う。悲しもには「愛しも」の要素がわずかに混じる。ユーモアによって、すこし救われるようだ。

 

 世の中はつねなきものと我愛づる山吹の花ちりにけるかも

 別れゆく春のかたみと藤波の花の長ふさ絵にかけるかも

 

 「山吹の花ちりにけるかも」には、むろん子規の姿が二重写しになる。「世の中はつねなきもの」は、人によって言われてきたことだが、それに悲しくも実感がともなう。「別れゆく春のかたみ」として、藤の長ふさを絵に書く子規。絵に書くという行動に移すところが子規らしいか。「かも」は詠嘆の助詞だが、この「かも」は私には「……」のように感じられる。絵を書いたあとの時間に流れてゆく空白。その空白こそが子規の心情であるような気がするのである。

 

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